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全斗煥政権末期の1987年1月14日、警察は、「ソウル大学民主化推進委員会事件」の指名手配者であった朴鍾雲の所在を把握するために、彼の後輩であったソウル大学言語学科在学生の朴鐘哲を不法に逮捕した。そして同日、治安本部対共捜査団の南営洞分室509号調査室で、警察による暴行や電気拷問、水拷問などで、朴鐘哲が死亡する事件が発生した。当初警察は、単純ショック死と発表したが、解剖医の証言や報道などで疑惑が提起されると、事件発生5日後に水拷問の事実を認めた。捜査警官のチョ・ハンギョンとカン・ジンギュが特定犯罪加重処罰法違反(拷問致死)の容疑で拘束された。これに対し、在野・宗教団体は糾弾声明を発表し、真相究明を要求する座り込みを始めた。また、各界要人9,000人以上で構成された「朴鐘哲君国民追悼会準備委員会」により、「2・7追悼会」が挙行された。また、民主統一民衆運動連合(以下、民統連)をはじめ、24の社会団体は、故朴鐘哲の四十九日を迎え、3月3日全国主要都市で「拷問追放国民平和大行進」を開催した。
このビラは、当時、大邱市の大邱百貨店近隣で「拷問追放国民平和大行進」が開催されることを知らせるために製作されたもので、大邱慶北拷問阻止共同対策委員会(委員長チョン・ジュウォン民統連諮問委員(神父))の名義で発行された。行進の予定については、午後2時大邱百貨店を出発して明徳ロータリー2・28記念塔まで行進すると書かれている。ビラ前面には「拷問政権を追い出して民主政府を樹立しよう」というスローガンが載っており、「長期政権を画策する軍部独裁を打倒しよう」、「2,000人の不法連行拘束者を直ちに釈放せよ」などの内容で市民の参加を促している。 |