大韓民国歴史博物館では4月22日から7月17日まで、こどもの日第100回記念特別展<私たちはみんな子ども>を開催する。今回の展示は、近現代史のなかの子どもたちの姿を通じて韓国社会が抱える課題に目を向けるとともに、自分自身を振り返るきっかけを提供することが目的だ。
展示は3部構成となっている。プロローグでは映像を通じて子どもの一日が体験できる。第1部では、「[ ]連れていかれた子ども」というテーマの下、歴史の中で労働、扇動、戦争、虐待、事故、早婚など子どもたちが望んでいない場所に連れていかれる様子を紹介しているほか、「離れ去った子ども」と題する空間では、韓国と海外における児童移住について説明している。
イム・ウンシク、<戦争孤児>、1950、
大韓民国歴史博物館
続く第2部は、「[ ]変えた子ども」というテーマで、大人とは異なる子どもならではの方法で世の中を変えた歴史上の子どもたちにスポットライトを当てた。第3部では、「[ ]幸せな子ども」というテーマで、家庭や学校、路地裏で楽しく遊ぶ子どもたちの様子を紹介する。エピローグは、「日常の破壊と回復」という状況に置かれた子どものことを考えながら、「私たちはみんな子ども」になって絵日記を描き、それぞれの作品によって展示を作り上げていく体験空間だ。
キム・ギチャン、<コルモクデジャン(ガキ大将)>、
1988、大韓民国歴史博物館
今回の展示を通じて、国内外の近現代史において人々に喜びや悲しみ、感動を与えた子どもたちの物語に耳を傾け、子どもたちを大切にする社会的雰囲気がさらに広がることを願う。
今年1月にオープンした常設寄贈館では、1960~80年代の仕事と職業をテーマにした展示「仕事によって明日を夢見る」が開催されている。展示を企画した資料管理課のキム・スジン学芸研究官に話を聞いた。
Q. 大韓民国歴史博物館が常設寄贈館を設置したきっかけは何ですか?
当博物館は、2010年から2021年にかけて計7万点以上の資料の寄贈を受けました。博物館が所蔵する15万点以上の資料の半分を占めるほど、寄贈品の割合は高いものとなっています。そのため、寄贈をいただいた方々に感謝の意を表し、さらなる寄贈の活性化が当博物館の重要な課題です。そこで、2013年と2017年に寄贈特別展を開催したほか、オンライン寄贈館を設置するなど様々な取り組みを行ってきました。しかし、これらの取り組みだけでは不十分だと考え、議論を重ねた結果、常設寄贈館を設置するに至りました。
Q. 7万点以上の寄贈品のうち203点が展示されましたが、選定の基準は何ですか?
朝鮮戦争の被害から復興し、高度成長期に入った1960~80年代を紹介する寄贈品を選びました。例えば、タクシー運転手、駅務員、アパレル業の従事者などに関する寄贈品がありますが、これらの職業は、当時は最先端産業を担う仕事でした。未来をリードする職業に従事していた方々の若さと情熱、誇りが寄贈品に込められているわけです。
Q. 学芸研究職にはどんな能力と努力が求められますか?
学芸研究職は何といっても編集とコラボレーション能力が求められます。例えば、常設寄贈館の最初の展示のテーマは「1960~80年代の仕事と職業」ですが、これは私の専門分野ではありません。また、展示を企画してデザインすることや照明の設置なども私の専門分野外ですが、展示を企画して準備する学芸研究職なら避けては通れない仕事です。そのため、学芸研究職には、どの専門家にアドバイスを求めるべきか、何をどう取捨選択すべきかといった判断を下す能力が求められます。それがまさに「編集能力」です。そして、学芸研究職にいる人たちは一カ所に留まっていてはいけません。自分の専門分野を超えて学び続ける姿勢、他の分野の専門家とオープンな姿勢でコミュニケーションを図る努力が必要です。
Q. 今後、大韓民国歴史博物館でやってみたい仕事がありますか?
現代史博物館には高麗青磁や仏像のような「宝物」はありません。その代わり、平凡な人たちの記憶と経験が宿る、当代性を持つ資料があります。私の夢は、これらの貴重な資料を将来の世代に遺産として伝えることができる新しい形式の資料収集方法を開発することです。英国の帝国戦争博物館では、写真や手紙をホームページで受け付けて第2次世界大戦を経験した人たちの物語を収集するプロジェクトを行いました。私もそのような意義あるプロジェクトをぜひやってみたいと思っています。
韓国において海外養子縁組が本格化した時期は、朝鮮戦争の休戦協定が締結された1953年である。当時、韓国には戦争孤児と、米軍と韓国人女性との間で生まれた混血児が多かった。韓国政府は戦争孤児に安定した環境を提供し、混血児を「父の国」に戻すという名目で海外養子縁組を推進した。韓国社会に根付いていた血縁中心の家族関係や儒教的道徳観も背景にあったとされる。韓国人の多くは自分と血がつながっていない子どもを育てることを嫌がり、また、非婚の母に対する社会的偏見も強かった。こうした社会の雰囲気と戦争直後の厳しい環境を背景に、海外養子縁組は推進されていったという。当時、欧米諸国は人道主義の観点から韓国の子どもたちを「救う」ことを望み、一方の韓国政府には子どもたちを守り育てる余裕がなかった。互いの利害が一致し、「子どもディアスポラ」の時代が幕を開けたのである。
韓国孤児の養子縁組のため米国行きの飛行
機に搭乗する関係者たち ©国家記録院
韓国の孤児を養子として迎え入れた
米国のある家庭の風景 ©国家記録院
その後、1961年に海外養子縁組に関する法律が制定され、海外養子縁組は60年代にさらに増加した。韓国政府は朝鮮戦争以降加速した人口増加を抑制する政策の一環として、未婚の母や極貧層の家庭の子どもを海外に養子縁組することで福祉支出の大幅な削減をはかったとされる。1970年代・80年代も、韓国全体の養子縁組の67%に当たる11万人以上が海外養子縁組だった。当時、韓国の子どもを海外養子縁組すると1人につき5,000ドルが韓国に流入したという。これに対して「海外養子縁組が金稼ぎの手段として活用されている」、「養子産業だ」などと批判する声もあった。2000年代に入ってから海外養子縁組は年間約300~500人へと大幅に減ったが、依然として非婚の母や欠損家庭の子どもたちに対する社会・経済的な支援は不十分で、海外養子縁組が代案の一つとして選択されているのが現状である。
このように海外養子縁組により自分の意思とは関係なく韓国を離れなければならなかった人たちの経験を通じて韓国社会の問題点が次々と浮かび上がる。子どもが新しい世界に適応するなかで直面するアイデンティティの混乱や彷徨は、大人になっても続くことが多い。すべての子どもは、親の保護を受け、健康に育つ権利を持つ。養子縁組の子どもたちも安心して温かい環境で成長できるよう「健全な養子縁組文化」が定着することを願いたい。
大韓民国歴史博物館は、学術大会や教育・文化公演など様々なイベントを通じて韓国の国民、さらには世界と共感し、コミュニケーションを図るための努力を続けている。今回の記事では、3月に開催されたクラシック公演と韓国・ベトナム国交樹立30周年記念報道写真展の開幕式を振り返りたい。
3月30日、3階の多目的ホールにて<光化門で出会うクラシック>が開催された。バイオリニストのムン・ジウォンさんとピアニストのソン・ヨンミンさんが韓国のクラシック音楽公演の出発地といえる「光化門」に関する物語を奏でた。2人の若い演奏者のエネルギッシュな公演により韓国の近現代史とクラシック音楽の物語を楽しむ時間となる。
3月31日、聯合ニュースとベトナムの国営通信社(VNA)が共同で主催する韓国・ベトナム国交樹立30周年記念報道写真展の開幕式が行われた。3階の多目的ホールで開催された式には、両国政府および関連機関の関係者など約30~40人が出席した。今回のイベントの幕開けを飾ったのは韓国とベトナムの伝統楽器で様々な演奏を行うKVアンサンブルの公演である。続いて、メタバースのプラットフォームを活用したオンライン写真展のデモが行われ、注目を集めた。展示場の様子をリアルに再現したメタバースプラットフォームには、聯合ニュースのホームページに掲示された写真展のバナーをクリックすることでアクセスできる。同展示は5月5日まで行われる。
2012年12月に開館した大韓民国歴史博物館は、今年10周年を迎えて様々なイベントを開催する。5月には開館10周年記念文化公演が予定されている。伝統音楽に現代的なメロディーを取り入れて「朝鮮ポップ」という新しいジャンルを生み出したソドバンドと、魂で歌う国楽歌手キム・ジュリがコラボレーションし、見ごたえのある祝賀公演を披露する予定だ。
-日時:2022年5月28日(土曜日)午後2時
-会場:大韓民国歴史博物館3階多目的ホール
-公演:ソドバンド、キム・ジュリ
National Museum of Korean Contemporary History Newsletter 2022年 03, 04月 (63号) / ISSN 2733-7138
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