常設展示

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大韓民国の親しみやすい歴史体験が楽しめる展示室です。

第1展示室 大韓民国の胎動(1876年~1945年)

第1展示室は開港から光復までご紹介する<大韓民国の胎動>展示室です。

第1展示室の入り口では、プロローグ映像をご覧頂けます。宇宙から地球を、そして衛星から眺めた韓半島の姿が、
心臓の拍動のように力強く光輝いています。
韓国の愛国歌とよばれる国歌を背景に白頭山と独島をはじめとする、東西南北の韓国の領土の境界を映し出します。
最後に真ん中の半球が太極旗に変化する映像が映し出されます。
大韓民国の象徴である愛国歌とよばれる国歌と太極旗を描き、大韓民国の領土を理解するコーナーとして準備しました。

太極旗のコーナー
19世紀、朝鮮沿海に西洋の異様船が頻繁に現われ通商を要求しましたが、朝鮮政府はこれを拒否しました。しかし、1876年に日本と朝日修好条規を締結し開港しました。この条約は日本人の治外法権など、日本の要求を受け入れた不平等条約でした。その後、イギリス、ドイツ、ロシア、フランス等とも条約を締結しました。開港後、朝鮮は西欧の文物を受容し、開化政策を推進しました。門戸開放の結果、新しい生活文化が導入されました。政府と西洋の宣教師たちによって建てられたキリスト教系学校では近代学問の教育が行われると同時に、西洋式建築、電気、電話、電信、交通インフラ、郵便制度、金融制度などが導入されました。
太極旗のコーナー
政府高官と知識人は、外国勢力の依存から脱却すべく、独立門と独立公園の建設を創立事業とし、独立協会を創設しました。日本によって閔妃(明成皇后)が殺害される事件(乙未事変)後、高宗はロシア公使館に身を隠し(俄館播遷)、親露派政権が成立しました。朝鮮の自主独立と高宗の還宮への要請が強まると、高宗は1年余りで還宮し、皇帝に即位して大韓帝国の樹立を宣布しました。
太極旗のコーナー
韓国に残る最も古い太極旗であるデニー太極旗を中心に、右上段には金九の署名が入った太極旗、右側下段には光復軍の太極旗など、韓国の歴史において重要な太極旗を一堂に展示しています。
安重根(アン·ジュングン)義士の親筆遺墨
この資料は、安重根(アン·ジュングン)義士が伊藤博文を射殺した後の旅順監獄投獄中、検察官の安岡に贈った親筆遺墨です。安重根記念館に所蔵されていましたが、現在は当館で管理しています。この親筆遺墨は、宝物第569号に指定されています。
日露戦争後、イギリス、アメリカ、ロシアなど列強の韓国に対する支配権の承認を受け、日本は1905年に韓国の外交権を剥奪した乙巳条約を強制的に締結しました(第2次日韓協約)。張志淵(チャン·ジヨン)は皇城新聞に社説「是日也放声大哭(この日声をあげ大いに泣く)」を載せ糾弾しました。閔泳煥(ミン·ヨンファン)と趙秉世(チョ·ビョンセ)はこれに抗議して自決しました。韓国が日本に外交権を剥奪された上、内政に干渉する情勢になるや国権を守る力を育てるべく啓蒙運動が起こり、義兵が蜂起しました。
日本植民地期 実物資料
日帝強占期の弾圧·収奪された苦難の歴史を、狭く低い通路に障害物や枕木で苦難の歴史を表現した空間です。日帝強占期に言葉と文字、氏名を奪われ、徴兵、徴用、慰安婦として連行された苦難と逆境の歴史を実物資料を通じご覧頂けます。
三.一運動
三・一運動のコーナーでは、三・一独立運動宣言書の中心思想をインタラクティブムービングテキスト技法を使って、分かりやすく説明しました。宣言書に込められた平等、共存、独立、自由、平和などの重要な価値が理解しやすくなっています。
独立運動 実物資料
ここでは、大韓民国臨時政府の移動経路と、韓国国内における民族運動と海外における独立運動を、実物資料と映像を通じてご確認頂けます。
『写真で見る昨日と今日』映像室は、光復以前の写真と同じ場所で撮影された現在の写真を比較し、歴史の臨場感を出しています。
8.15光復
「8・15光復」では、独立のために犠牲になった殉国烈士の写真で数字の「8・15」のモザイクを作りました。写真でご紹介できなかった人物は映像を通じ、ご覧いただけます。
8.15光復
8・15光復の映像は、解放までの過程を収めたドキュメンタリー映像です。ふたつのスクリーンを重ね作られたツーレイヤー特殊映像スクリーンを採用し、立体感と臨場感を出しています。
8.15光復
光復を迎えたものの、自由陣営と共産陣営との冷戦の狭間で、韓半島は38度線を境界線にして分断されてしまいます。38度線を前面の立て札と床に書かれた線で演出しました。右側には南朝鮮での戦況の展開が、左側には北朝鮮での戦況の展開が、写真と実物資料で展示されています。
第2展示室 大韓民国の基礎確立(1945年~1960年)

第2展示室は、「大韓民国政府の樹立」、「韓国戦争と戦後の復興」、「国民国家の土台を築く」という3つの部分により構成されています。

韓国戦争により荒廃した中でも、希望を忘れずに発展の基礎を築いた国民の汗と涙。
大韓民国の基礎確立」では、大韓民国政府の樹立過程とその意味、韓国戦争の展開過程と悲惨な実情、戦争の廃墟の上で戦後に国の土台を構築していく過程を映し出します。
また、市民の力で独裁政権を打倒し、民主化運動の土台となった四月革命の意味についても振り返ります。

第2展示室 01
第2次世界大戦後、自由主義陣営と共産主義陣営が対立する世界的な冷戦秩序の中で、韓国と北朝鮮は互いに異なる体制を持つようになり、国会議員の総選挙も韓国でのみ実施することに最終決定しました。1948年5月10日に実施された国会議員の総選挙は、21歳以上のすべての男女に選挙権が与えられた初めての直接・平等・秘密・自由の原則に基づいた民主的な選挙でした。
第2展示室 02
5・10総選挙により構成された初代国会は憲法を制定・公布しました。大統領と副大統領が選出され、1948年8月15日にはついに大韓民国政府が樹立しました。大韓民国政府は同年12月、国連により「選挙に対する監視が可能だった地域において合法的に樹立した政府」として承認を受けました。
第2展示室 03
1948年の政府樹立後、国の基礎を築いていく最中であった1950年に、韓国戦争が勃発しました。
1950年6月25日、北朝鮮の奇襲攻撃により始まった韓国戦争は、国連軍の支援により転機を迎えましたが、大規模な中国軍が北朝鮮側に加わったことで苦戦を強いられました。その後の戦闘は、北緯38度線に近い場所に戦線が形成され、膠着状態に陥りました。3年余りに及んだ戦争は、1953年7月、停戦にいたりました。
第2展示室 04
メレディス・ヴィクトリー号は1950年、興南(フンナム)から撤退する際に多くの避難民を乗せた船として広く知られています。
軍需物資を輸送する貨物船に、1万4千人あまりの避難民を乗せて巨済・長承浦港まで3日間航海を続けましたが、氷点下の寒さと飢えの中でも1人の死者も出さなかったばかりか、船の中では5人の新しい命が誕生しました。メレディス・ヴィクトリー号の救出作戦は、1つの船で最も多くの人を避難させたケースとして、2004年にギネスブックにも登録されました。
第2展示室 05
韓国戦争後、多くの韓国人は非常に厳しい暮らしをしていました。特に、戦争の砲火が集中したソウルでは多くの住宅が破壊された上に、戦後に韓国に移住した北朝鮮出身者や離農者が多数いたため、非常に深刻な住宅難状態にありました。新しい移住者は山や川の周辺に集まって合板や布でバラックを作り、巨大なバラック村が形成されました。バラック村の住人は、厳しい環境の中でも強靭な意志と生活力をもって人生を切り開いていきました。
第2展示室 06
韓国戦争が終わり、韓国はアメリカと韓米相互防衛条約を締結しました。
この条約により、アメリカの2つの師団がソウルと38度線の間に配置され、北朝鮮の再侵入を防ぐ役割を果たしました。さらに、休戦当時は55万人だった韓国軍が72万人に増員され、将校教育や訓練プログラムも強化されました。
第2展示室 07
大韓民国は樹立以来、小学校の義務教育制度を導入し、国民教育の根幹を築いてきました。
1950年代末には小学校への就学率が96%に達し、多くの学校が増設・新設されました。
1950年代に蓄積されたこれらの人的資本は1960年代以降の産業化や民主化など、その後の大韓民国が成長していく上で基礎となりました。
第2展示室 08
韓国戦争以降の大衆文化は、戦争の悲劇や北と南へ散り散りになった家族の悲しみを表現したり、惨めな暮らしに対する絶望と自嘲をテーマにしたものがほとんどでした。故郷を失ったこと、離別の悲しみ、戦争の悲劇を表現した歌謡曲の人気が高く、映画館では海外の映画のみならず韓国の現実を描いた韓国の映画も次第に人気を集めるようになりました。知識人の間では総合教養雑誌『思想界』などが多く読まれました。
第2展示室 09
始発(シバル)自動車は1955年8月に生産が始まった、韓国初の国産車です。戦後、破壊された自動車の部品を集め自動車を作り直す再生業が盛んに行われていましたが、チェ・ムソン氏3兄弟が米軍のジープの部品に新しい韓国産部品を組み合わせて始発自動車を誕生させました。始発自動車は1955年10月、産業博覧会において最優秀国産品に選ばれ、大統領賞を受賞し、さらにタクシーとしても人気を集めました。
第2展示室 10
1960年大韓民国大統領選挙で不正が発覚すると(3・15不正選挙)、国民の怒りが爆発して全国的に大規模なデモが起きました。この過程で警察の発砲により180人あまりが死亡する流血の惨事につながりました。学生と市民のデモが続くと、李承晩(イ・スンマン)はようやく辞任しました。国民が政権の腐敗と独裁を厳しく審判した四月革命は韓国の民主化の礎となりました。
第3展示室 大韓民国の成長と発展(1961年~1987年)

第3展示室は大韓民国の成長と発展をテーマにしています。

1960年代から1980年代後半にかけて、韓国経済が飛躍的に成長し、大衆文化が多様化していきます。
国民の意識も高まり、民主化運動が絶頂を迎える時期を展示しています。

第3展示室 01
大韓民国歴史博物館と隣接している米大使館は、1960年代に建てられたツインビルディングで、経済成長と現代史の象徴です。このビルは、韓国の経済開発を牽引した国家再建最高会議と経済企画院として使われました。1961年当時の竣工式の資料も展示しています。
第3展示室 02
韓国が短期間で急速な経済成長を遂げた背景には、経済開発5カ年計画、重化学工業政策、政府主導の経済政策に加え、国民の努力の支えがありました。ここでは、経済開発計画、輸出振興政策などに関する資料を展示してます。また韓日会談の反対デモに関する資料として、
第3展示室 03
「産業労働者の海外進出」コーナーはすべて寄贈資料です。ドイツに派遣された鉱山労働者と看護士、中東の建設現場で働いた産業労働者の活躍を展示しています。ドイツに派遣された鉱山労働者の給与明細書、送金領収証、日記、写真集などから、はるか異郷で故国への思いを封じ、がむしゃらに働いた労働者の汗と努力をご覧いただけます。
第3展示室 04
このコーナーは「大韓民国第1号」、「不可能を可能にした一軍の奇跡」などを展示しています。船積みされたコンテナとH型鋼で展示空間を演出しました。国産第1号ラジオ、国産第1号自動車のポニーが展示されています。その他に電子産業、自動車·造船産業、京釜高速道路建設、鉄鋼事業に関する内容をご覧いただけます。国産第1号自動車のポニーは、1982年にニュージーランドに輸出された自動車です。
第3展示室 06
韓国で初めて受注·製作された石油タンカーであるアトランティック·バロン号の模型を展示しています。この船には、鄭周永会長が500ウォン紙幣に描かれた亀甲船の話でイギリスの船舶図面設計会社を説得し、ギリシャ船主から2隻の石油タンカーを受注したというエピソードが残っています。造船と同時に、蔚山尾浦造船所も建設した事実も関連映像に収められています。
第3展示室 07
成長の影には劣悪な労働環境の中で苦労した労働者の犠牲がありました。当時の縫製工場を再現した埃まみれの低い天井の作業場では、一日14時間以上もミシンを踏み、屋根裏で雑魚寝して働き続けた女性労働者の悲哀を間接的に体験できます。また、全泰一(チョン・テイル)烈士と労働運動の歴史も映像で紹介しています。
第3展示室 08
セマウル運動コーナーはクレイアニメで構成されています。子どもや青少年が難しく感じるセマウル運動の「勤勉、自助、協同」の精神をストーリーで楽しくご覧いただけます。
反対側の展示ケースではセマウル運動に関する多様な資料を展示しています。当時のセマウル運動の指導者が朴正熙大統領から下賜されたラジオも展示しています。
第3展示室 09
このコーナーは文化の多様化、大衆文化がテーマです。映画、音楽、スポーツ、ファッションなどの大衆文化の様々なアイテムを、実物資料と映像を通じてご覧いただけます。文化に関する大韓最新情報の楽しい映像も見られます。
第3展示室 10
民主化運動の展示コーナーでは詩人の金芝河(キム·ジハ)の詩「焼ける喉の渇きに」からスタートします。ここでは1960年代から1980年代の民主化運動の流れと過程を実物資料、写真、映像などを紹介しています。民主化運動の意味と犠牲を象徴し、照明を落とした長いケースで展示を強調しました。
第3展示室 12
第3展示室の最後は、大韓民国歴代大統領コーナーです。歴代大統領の肖像画と在任期間を刻んだプレートや、大統領の活動をモニターでご覧いただけます。また、職務デスクと演説台を置き記念撮影が楽しめます。大きな額縁に見立てた窓からは、景福宮、青瓦台、北漢山、仁王山などの美しい景色をご覧になれます。
第4展示室 大韓民国の先進化、世界への跳躍(1988年~)

第4展示室は〈大韓民国の先進化、世界への跳躍〉をテーマに、1987年から現在までの時期を扱っています。

大韓民国は経済成長と民主化を成し遂げて国家の基盤を固め、グローバル化の流れの中で対外的な自信感を強める一方で、
平和な統一韓半島を実現するための課題に直面しています。

第4展示室 01
民主化運動勢力が結集した民主憲法争取国民運動本部の活動や全国民的民主化運動が続いた結果、執権勢力は6・29宣言を発表して民主化と大統領直接選挙制を受け入れざるを得ませんでした。さらに、与野党の合意による憲法改正案が国民投票で圧倒的な賛成を得て成立したことにより、1971年の第7代大統領選挙以来16年ぶりに国民が大統領を直接選ぶことになりました。国民の力で権力主義政権に終止符を打ち、国民の意思を反映させる政治制度の確立に寄与した1987年の民主化抗争は、民主主義発展の基礎となりました。
第4展示室 02
大統領直接選挙制への改憲を経て1987年12月に大統領選挙が行われました。選挙に先立ち野党候補の一本化を期待する動きが見られましたが、選挙では「普通の人」「安定」を掲げた盧泰愚(ノ・テウ)候補が当選しました。大統領直接選挙制の施行を皮切りに政治関連法、国会関連法、地方自治法などが制定・改正され、国民の政治参加を拡大する制度の整備が進められました。
第4展示室 03
政治的自由化が進むにつれ、基本権の拡大を求める声も高まりました。労働者の権益保護や言論の自由の拡大を求める動きが起き、憲法による基本権保護を目的に憲法裁判所が創設されました。過去の不正腐敗を清算するための聴聞会制度が導入され、ハナ会の解散、金融実名制の施行が相次いで実現しました。民主制度が整備されて国会の機能も強化され、選挙公営制、地方自治制などにより国民の政治参加への機会も拡大しました。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の大衆化は市民の直接的政治参加に影響を及ぼしました。
第4展示室 04
1980年代後半から我が国の外交は全地球的規模に拡大し、北方外交を通じてハンガリーを始めとする社会主義国との国交が樹立されました。国連を通じた財政支援を皮切りに今では援助を行う側の国家となり、国際紛争地域での平和維持軍活動にも参加しています。最近では世界平和、核安全保障など国際的な議題の提起にも主導的役割を果たしています。東海や独島の表記など歪曲された事実を正し、大韓民国を正しく伝える民間外交活動も活発に行われています。
第4展示室 05
スポーツは歴史的に韓国人の自信感を強め、国家的地位を高める契機となってきました。1936年、孫基禎(ソン・ギジョン)選手のベルリンオリンピックでの優勝は国を失った悲しみの中で民族的自負心を呼び覚まし、1948年のロンドンオリンピックでは「KOREA」という名前で初参加する喜びを味わいました。1988年のソウルオリンピックは、6・25戦争(朝鮮戦争)を克服した大韓民国の底力を世界に知らしめる契機となりました。2002年の韓日FIFAワールドカップは、ベスト4進出という成果のみならず、市民の熱狂的な応援と秩序意識が大韓民国の成長を全世界に印象づけました。2011年の大邸(テグ)世界陸上競技選手権大会開催と、2018年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック誘致により、大韓民国は5番目の世界4大国際大会開催国となりました。
第4展示室 06
1990年代初めに韓国のドラマがアジアで人気を博して以来、韓国の大衆文化に対する関心はヨーロッパ・南アメリカなどに広がり、「韓流」ブームを起こしています。韓流はインターネットやSNSを通じて急速に広がっており、食べ物・ハングル・韓国製品など韓国文化全般に対する関心に拡大しています。躍動感・興趣・一体感といった言葉で表現される韓国人の情緒は、多様な西洋文化を受け入れることで世界の人々と共感できる文化的要素を備えるようになってきました。このような基盤の上に生まれた韓流は世界文化の多様化に寄与しています。
第4展示室 07
1990年代後半の通貨危機克服の過程では、政府・国民・企業に試練と犠牲が求められましたが、全国民的な金集約運動などが大きな力となりました。リストラクチャリングを通じて先進型経済システムが定着したものの、所得分配の不均衡、労働市場の柔軟化による失業問題などが課題となりました。
通貨危機克服の過程で新たな成長の力として育ったIT産業は、韓国経済の重要な軸となりました。「世界初」「世界最高」の記録を更新し続けており、いまや世界市場をリードするまでになりました。
余暇や文化を楽しむスタイルも変わり続けてきました。情報通信産業の成長やデジタル技術の発展により、eスポーツやデジタルカメラを活用した余暇の過ごし方も一般化しています。読者の反応に応じて小説・映画・ドラマなどに裾野を広げるインターネット基盤の作品も増えています。
第4展示室 08
今日約170か国に居住する在外韓国人の数は700万人に達しています。移民は、20世紀前半の日本の収奪や貧困から逃れるためのハワイ移住に始まり、20世紀半ばには国家主導による移住・定着を目的とした中産層の移民が増加しました。海外に移住した韓国人は、特有の勤勉さにより模範的移民として生活基盤を固めてきました。グローバル化とともに国境の意味が徐々に弱まる一方で、民族的連帯はさらに重要性を増しています。海外の韓国人は、世界に拡大する大韓民国の顔であるとともにグローバル化の架け橋でもあります。海外の韓国人社会との相互協力は、韓民族共同体発展のための重要な原動力となることでしょう。
第4展示室 09
大韓民国に暮らす外国人は2014年現在175万人を超えています。1980年代後半から外国人労働者や結婚移住者が増加し、本格的な多文化社会に突入しました。古くから単一民族としてのアイデンティティーを重視してきた我が国も、グローバル化と多様な文化に直面し、文化間の理解とコミュニケーションが強調される社会に急速に変貌しつつあります。外国人移住者が各自のアイデンティティーを守りながら韓国社会と共存できる基盤を築く努力が求められています。
第4展示室 10
1980年代末以降、南北は互いを敵対する相手ではなく共存の対象とみなすようになりました。両者を同伴者の関係として定着させようとした1988年の7・7宣言から2000年代の2度の頂上会談まで、南北は和解の道に進むための大きな流れを作ってきました。このような流れの中で、金剛山(クムガンサン)観光、開城(ケソン)公団事業、民間団体の交流などが行われてきましたが、北の核問題、延坪(ヨンピョン)海戦、天安(チョナン)沈没事件に象徴される葛藤構造は解消されていません。分断以降の南北関係は、緊張と対立、交流と協力、さらに離散の苦痛がないまぜになっています。一方で、スポーツを通じて一つになったという貴重な経験もあります。平和への願いを集め、統一韓半島に向かって進むことは、未来への大きな一歩となることでしょう。
大韓民国映像実録 先端技術大国 大韓民国の姿を示す複合展示空間

「大韓民国映像実録」コーナーは、最先端ディスプレイ技術を通じて、見る·聞く·感じることができる空間です。

大韓民国の主要な歴史的瞬間と、政治·経済·社会·文化など様々な分野を、最先端ディスプレイ技術を通じて、見て、聞き、感じることができる空間です。

大韓民国映像実録01
アナログ的な感性と華やかなデジタル展示効果を融合させ、過ぎ去りし韓国の歴史を共感できるようにしました。

大韓民国歴史夢の村は?

子どもが大韓民国のストーリーをテーマごとに楽しく体験できる子ども博物館です。




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地球村の様々な国
地球村の様々な国の文化について学び、多様な世界遺産と文化が盛り込まれた世界地図を作ってみることができます。
地球村の様々な国 地球村の様々な国の文化について学び、多様な世界遺産と文化が盛り込まれた世界地図を作ってみることができます。
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私たちの国、大韓民国
大韓民国のシンボルと選挙・民主主義について体験し、 道に沿って歩きながら大韓民国の経済発展について学ぶことができます。
私たちの国、大韓民国 大韓民国のシンボルと選挙・民主主義について体験し、 道に沿って歩きながら大韓民国の経済発展について学ぶことができます。
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大韓民国の未来、私の夢
1950~1980年代の様々な写真資料を通じて、子どもたちは両親の小さい頃の様子を伺うことができます。
あの頃、あの時代の夢の村 1950~1980年代の様々な写真資料を通じて、子どもたちは両親の小さい頃の様子を伺うことができます。
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大韓民国の未来、私の夢
近現代史の中の3人のストーリーを通じて将来の夢について考え、また統一された未来の大韓民国に対する希望のメッセージも残せます。
大韓民国の未来、私の夢 近現代史の中の3人のストーリーを通じて将来の夢について考え、また統一された未来の大韓民国に対する希望のメッセージも残せます。
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子ども体験スペース
子どもたちが昔のおもちゃに触れて 両親の懐かしい思い出を体験することができます。
アニメーションも上映されているので、ぜひ見に来てください。
子ども体験スペース 子どもたちが昔のおもちゃに触れて 両親の懐かしい思い出を体験することができます。
アニメーションも上映されているので、ぜひ見に来てください。